AKIRA KUGIMACHI

田中淳

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「記憶の水の流れ」

彼と初めて会ったのは、2000年の初冬のこと。その場所はパリだった。などと書き出すと、なんとも昔風のキザで、陳腐だけれど。

かつて知己だったパリ在住の日本人フォトグラファーO氏の紹介だった。わたしは、勤め先の在外研修で3ヶ月間パリにいたときだった。最初の印象は、いささか野生的な九州男児O氏に比べて、なんともスマートでかっこいい青年だった。彼が文化庁の海外派遣芸術家としてパリに滞在していたときだった。そして、ちょっとおどろいたのは、そのパリで「日本画」を描いているということだった。これは、すぐあとで当方の偏狭な考えのせいで、パリにいる画家が、だれもが油絵具をつかって描かなきゃいけないというわけでもないのだから。

それから彼とは、ときどき会うようになったけれど、わたしにとって、今でもなんとも強い印象に残っているのは、ブルターニュ半島の北東に位置するブレア島という小さな島に同道してもらった旅行である。実は、わたしが研究していることにしている日本の近代美術の画家黒田清輝、久米桂一郎が、フランス留学中におもむいた地であったから、この滞在中にぜひ一度いってみたいとおもい、彼に同道をお願いしたのである。
11月のパリをはなれ、西へ500キロ、彼の愛車フォルクスワーゲン・パサードで6時間。それから連絡船でわたって、ようやく到着。シーズンオフでもあり、営業しているホテルは一軒だけ、移動は徒歩か自転車だ。
島では、彼と二人で、100年前に黒田たちがここに泊まったらしいというかつてのホテルをさがしたり、また現在の村長宅には当時芸術家コロニーだったこの島に集まった芸術家たちがそれぞれのポートレートを描きこんだワイングラスが残っているらしいというので、たずねていったりもした。
この島の特徴である、おどろくほど赤い土でおおわれた島の海岸や、久米の作品に描かれたままの民家や牧草地をながめながら、てくてくと歩き回った。

そんなとき、雨がはげしく降りだした。傘もないので、軟なわたしはほうほうの態でホテルに帰ったけれど、彼はぬれるのも気にせず、どこまでも歩いていった、その後ホテルにもどった彼は、当然頭からもうずぶぬれだった。このとき、けっこう骨っぽいところがあるものだとおもった。日本の美術大学をでてから、単身、マルセーユのボザールに学んだ彼は、「日本画」という自らの画材をはなさなかった。決して表にはださないけれど、そのような粘りが彼のなかにはあるようだ。わたしのこの短いパリ滞在もあっという間に終わりに近づいたとき、最初で最後に一度だけ彼のアトリエを訪問した。その広いアトリエで目にしたのは、緑の中を流れる夜の渓流を描いた横幅8mに及ぶ大作だった。まだ仕上がってはいないといっていたけれど、しずかにたまる水面がある一方で、岩にあたりしぶきをあげ、ごうごうとダイナミックに水の流れを追いかけた変化にとむ作品だった。スマートな外見にはおよそ似合わない、身体ごとぶつかっているような印象をうけた。その姿勢がじかに伝わってくるようで、好ましくおもったことを覚えている。

その後帰国したわたしは、彼が日本で開く展覧会の案内をもらい、一二度、作品を見ていたが、今年三月の東京・渋谷の個展を見て彼自身のひとつの成熟をみせてもらったような気がした。

会場でわたしは、安定した構図のなか、霞んでしまった水平線と空とが溶け込んだ遠景と、波打ち際の白く打ち寄せる海の表現の対比が鮮やかだとおもった。画面に近づいてみれば、小道具として砂浜に流れついた貝や海草まで、リアルに細密に描きこまれている。
そして不透明な「日本画」画材によりながら、水の透明感がなんとも魅力的な作品群だった。
静寂で透明な世界、どこか現実にありそうで、まったくの記憶、あるいは憧憬にも似た情景だ。しかもその情景は、どこかに危うさがひそんでいるような、鋭さと怖さがあるようにも感じた。

この個展を見て、わたしは彼がひとつのものを掴んだなとおもった。しかし、先に「成熟」と書いたけれども、これで終わりではない、逆にひとつの経過点であり、もっといえば起点だといってもいい。
そういうのも、わたしのさらなる彼の絵画の変貌への期待であり、この作家は決してひとつ掴んだ安定に止まっていることを拒むにちがいないとおもうからである。かならず、あのどしゃぶりの雨のなかをひとりで歩いていったような彼の内にある粘り強さとたくましさによって小さな安定を拒み、さらに豊かに発展するちがいないとおもう。

東京文化財研究所    田中淳(たなかあつし)