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漠然と虹を絵にしたいという思いは随分前からありました。
しかし、実際には虹を絵にするという作業は、短絡的過ぎる気がして今一つ 手を出せない
でいました。 虹を、それが虹だと忘れた時にいつか描けるようになるのではないか、と 思っていたのです。 そしてある夕方、偶然にも、南仏で上下反転した虹を目の当たりにするの です。
急いでその光景をカメラに収めましたが、それはすぐに作品として生まれ ることもなく、 しばらくの間、私の中で眠り続けていたのです。 なぜ、虹を描くのか 昨年、父が亡くなりました。その時、なぜかふと虹を描 きたいと思ったのです。
父の死という事実と向き合うため、何か、弔いをしたかったのかもしれま せん。 あるいは無事天上界へと飛び立って欲しいという思いを虹の絵に託した かったのかもしれ
ません。 調べてみると、虹というのは北欧神話では「あの世とこの世を繋ぐ橋
(”Bifrost”)」 という 意味があるようです。 他にも「虹はこの世界と別世界を 繋ぐ架け橋」という語源を持つ文化が多くあります。
この偶然に私は何か必然性や共時性を感じずにはいられませんでした。 一瞬で過ぎ去る虹と、膨大な宇宙の歴史から見れば瞬きをする間のような ものかもしれな い人間の一生が、儚さという共通点のもとに重なったのかも しれません。
なぜ、虹を描くのか 私は、1枚の絵に上下反転した虹を描くと同時に、1枚 1枚が虹の単色を表しながら作品10点 全てを並べた時に虹のスペクトラムと なるような一連の作品を作ろうと思い立ちました。
そして、光の振動ともいうべき青と赤の虹の色彩を出すため、暗闇からほ のかな光が少し ずつ現れてくるように、 墨で真っ黒にした面に、天然岩絵の 具を用いて薄い色の層を言わば儀式のように何度も何 度も重ねて色を出して いきました。
「お茶を入れる、その入れ方が次第に儀式化していくというのは、生きてい る不安による ものではないか(「千利休 無言の前衛」赤瀬川原平 著)」
人は切り詰めた表現方法を用い、ある行為を繰り返すことで神秘的な他者 が立ち現れてく るのを辛抱強く待つことで、死や別れというものに対する不 安を拭おうとするのかもしれ ません。
人の一生には制限があり、死という不安があるからこそ、どこまでも自由 な世界へと飛び 立とうとする。 そしてこの一生に制限があるからこそ、それ がたとえ徒労に終わろうとも、人は何かを創 作しコミュニケーションする、 終わりのない旅に向かっていくのかもしれません。
アートを生活に取り入れ向き合うということは、本質的に、それと向き合 うことによって生と死、つまり自分が死ぬべき存在であるということと常に
向き合い日々生まれ変わったかのように過ごすことなのではないか。 あの世とこの世の境界を意識し、生と死に向き合うことによって初めて人 は自他を超えた世界へと羽撃くことを夢見ることが可能になり、またそのこ とで改めて新たな自分と出会うことになるのかもしれません。
Bifrost 2018
雲肌麻紙、墨、胡粉、天然岩絵具
Installation view/ Bifröst 55×55cm 2016
Bifrost 16.2×16.2cm 2018
雲肌麻紙、墨、胡粉、天然岩絵具
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